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本ブログのアクセス統計: 60万アクセスを達成しました。ご訪問ありがとうございました。

60万アクセスまでの経過

2009年12月に始めた本blog。2011年7月ごろに10万アクセスを達成し、2011年12月13日には15万アクセスを達成。
その後、私も更新しておらず、アクセスは少し減りましたが、3月1日には18万アクセス。2012/4/18に20万アクセス、2012/8/21に25万アクセス、2013/1/18に30万アクセス、2013/12/17に40万アクセスを達成しました。しばらく見ていなかったら、2015/5/1に50万2584アクセスになっていました。またまた、しばらく更新しないうちに、2017/6/11に60万7197アクセスになっていました。2018/7/7 .. おお七夕 .. には63万0656アクセスになっていました。久しぶりに更新しました。

2012年3月30日金曜日

Mac OS-X Lionでのユーザ移行, win7からの移行

家人のwindows 7のnotePCの調子が悪いので。Macに移行した。
環境設定を英語にしているので、ツールの設定等は厳密に日本語モードと一致していないかもしれない。

Mac間のuserの移行)
私がしばらく借りていたMacなので、まず、Userを作って環境を移した。ググっても出ていなかったが、ここに一連のplistファイルがあったので、当たりをつけてやったら正解だった。そもそもBSD系のUnixだし、追加分もMacとiOSの作りが似ているので大変分かりやすい。

やり方は簡単。${OldUser}/Preferences以下を丸ごとコピーすればよい。${OldUser}は、たとえば、~Hoge/ とか /Users/Hoge とかになる。

  1. Terminal windowを開く
  2. su   をいれ、管理者パスワードをいれて、管理者特権になる。
     標準では管理者アカウント(root) はoff
    http://support.apple.com/kb/HT1528?viewlocale=ja_JP のやり方で、rootが有効化できる。
  3. cd
  4. cp -r ${OldUser}/Preferences  .
  5. chown $USER   Preferences     Preferences/*
これで再ログインすれば、Desktopの設定やDockの設定などがコピーされる。ただし、システム設定で設定されるような、マウスのスクロール機能や言語環境設定はコピーされない。また、Mailのuser設定もコピーされない。

ここからは、windowsからMacへの移行アシスタントというものもあるが、私は手でやった。
移行アシスタントについて) http://support.apple.com/kb/HT4796?viewlocale=ja_JP

iTunesの移行)
ここからは面倒なので、まずは英語モードの表示のまま書くことにする。

メディアファイルの移動)
  1. Preferences -> Advancedから、Mediaファイルの置き場所をNASにする
  2. Keep iTunes File Organizedにクリックをいれる
  3. File -> Library -> Organize Library をやると、ローカルなファイル(Music, Movie, アプリ) がNASに移動する
  4. ここで、アプリの保存フォルダ等を他のマシンからマージしたので、手でやる必要があった。
管理ファイルの移動)
  1. MacのiTunesの版がwindowsのそれと同じか新しければ自動変換されるので問題はない。
  2. win7 のマイミュージック/*.{itdb,xml,itl} を ~/Music/iTunesの下にcopy。これも、NASにコピーしてから再コピーすると楽かもしれない。
  3. MacのiTunesを開いて、先のメディアファイルの移動で書いたのと同じようにMacのiTunesも設定。
  4. これで、NASのファイルが見えるようになる。
ただし)
  1. 昔のiTunesで変換したメディアファイルは64bit版のiTunesでは開けない。
    http://bit.ly/Hmz9Bj を参照して、iTunesを32bitモードで起動すれば、問題はなくなる。
また、YouTubeのダウンロードツールでダウンロードしたmp3が、マイドキュメントのダウンロードの下に残っていた。これが、NASに転送されないので、見えなくなった。
これは、iTunesをquitしておいて、さきの iTunes Music Library.xml のパスを変更すれば良い。ただし、m4v すなわちmpeg4ビデオのデータは、ここに有るパスを変更しても変わらない。なぜだかわからない。

NASのマウントパス) 

2011年12月1日木曜日: Macの便利なツールなど

に書いた通り、MacでのNASのマウントポイントの名前 /Volumes/の下は適当に決められてしまう。たとえば、Landiskのitunesというvolumeをマウントしようとすると、通常は/Volumes/itunes-1 と-1のサフィックスがつくが、-1の調子が悪く、場合によって2回目のマウントになったりすると、-2のサフィックスでマウントされたりする。ところが、iTunesは、パスを絶対名で参照するので非常に都合が悪い。

これは、上記の記事にあるように、

http://www.wizard-limit.net/mt/pc/archives/004459.html  を参照して以下のように対処した。
  1. 特権ユーザになる
  2. /etc/auto.smb を作成して以下の行を追加。Guestがユーザ名。私のNASはゲストなので、パスワードは不要。
  3. itunes -fstype=smbfs ://Guest:@LANDISK-02/itunes
  4. /etc/auto.master を編集し、以下の行を追加
   /Share                  auto.smb 
automount -vc では設定がおかしくなったので、shutdownして立ち上げ直した。これは、最初、/Shareではなく、通常のマウントポイントと同じ /Volumesを指定したからなのかも知れない。


Mailの移行)
Outlook 2007なので、データフォーマットはpstであり、http://bit.ly/HmHCV8 を参考に移行した。
  1. http://www.ehow.com/how_6132518_convert-pst-mbox.html のやり方を使う。
  2. Thundebirdをインストールする。
  3. outlookから、アドレスブックとメイルボックスをThunderbirdにimport。全てとやるとなぜかエラーを起こした。個別にやるとメイルの設定のimportで失敗していた。
  4. Thunderbirdのメイルのフォルダを右クリックしてプロパティを表示させると、そこにファイルがある。mboxフォーマットではないが、このプロファイルをLionのMailはimport可能である。
  5. Thunderbirdのメイルboxを右クリックする。プロパティから、Thunderbird\Profileの下のフォルダを探し、ExplorerでNASにコピー
  6. Mac OS-X LionのmailからImportで、Thunderbirdを選択し、上記のプロファイルのフォルダを指定、Continueをするとメイルと設定がimportされる。
以下のやり方でmboxファイルをThunderbirdからはき出そうとしてみたが、mboxのメニューは出てこなかったし、そもそも上記のやり方ができるので必要はない。
  1. http://bit.ly/HmVTkH を参考にimport/exportツールをThunderbirdにinstall
    1. http://bit.ly/HmVLBP からdownload
    2. Thunderbirdを起動。ツール -> アドオン
    3. 右上の検索の横にある歯車を左クリックし ファイルからアドオンをインストールを選択。ダウンロードした xpiファイルを選択し、インストール
    4. Thunderbirdを再起動
  2. フォルダを選択し、右クリックしたメニューから、インポート・エクスポートを選択
  3. フォルダ内の全てのメッセージをexportを選択。が、mboxフォーマットではexportできない。emlとかはある。

2012年3月27日火曜日

Lytroのカメラに触ってきました。原理も追記


原理と実機に触ってきた感想を以下の記事に追記しました。

2012年1月2日月曜日: Lytroの後からピントを合わせられるカメラ


2012年3月16日金曜日

iPad(3)の脱獄

新しいiPadが、本日3/16から発売になる。米国の朝のニュースで、どこの店で何時から発売されると、リストが示されるほどの、熱狂ぶりである。Facebookでも、そのRetina Displayのすばらしさが報告されている。印刷物をしのぐ全く新しい世界だとある。

New iPad) http://bit.ly/wKW7t8

昨晩、iOS脱獄の本家、Dev Team Blogに、New iPadの脱獄について触れられた。
完全な日本語訳は、http://bit.ly/AqPNc5 にも書かれています。

  1. iPadとは、ひどい名前なので、iPad3と呼ぶことにする
  2. 4ヶ月前にiPad2を脱獄した手法は、まだ存在している
  3. @i0n1c がtweetした写真(http://bit.ly/zeVKfP)の手法は、また別な手法だ
  4. Cydiaに近い関係者が、さらにまた別な脱獄方法を検討しているらしい
  5. @pod2g も継続して脱獄に取り組んでいる
まだ、いずれも暫定的で、いつ、脱獄が完成するのかはわからない。が、いつもの通り、気をつけておきたいのは、”決して、iPad3のiOSをアップデートしないこと” である。もしも、iPad3が、iOS5.1より古いiOSでやってきたら、そのままにしておきたい。

2012年3月15日木曜日

iOS5.1の脱獄, iPhone4SのSIM unlock

iOS5.1がリリースされた。まだ紐無し脱獄はできないが、以下の注意がDev Team Blog http://blog.iphone-dev.org/ に掲載されている。

  1. iOS5.1が出るとAppleはiOS5.0.1の認証を止める。すると、TinyUmbrella等でSHSHが保存してあっても、iOS5.0.1のインストールはできなくなる
  2. iOS5.1に更新すると、(当面)脱獄のチャンスは失われる
  3. iPad2よりも前のデバイスであり、SHSHが待避してあれば、(iOS5.1をインストールした後でも)古い版のiOSにダウングレードすることは可能である。PwnageツールでDFUモードにいれて行う必要はある。
    これは、私も成功しており、以下に書いた。

    2011年11月18日金曜日: TinyUmbrellaを用いて、iOS4.3.2に戻してiPhone4を脱獄

  4. SIM Unlockしたい場合には、カスタムfirmwareとしてiOS5.1を導入しないとならない。AppleのiOS5.1を導入すると、Basebandが最新に更新されてしまい。unlockのチャンスを失う
iOS5.1の脱獄)
iOS5.1 beta3 では、iOS5.0.1の紐つきでない脱獄(完全脱獄)で使われた、「Corona Exploit」が塞がれて、紐付き脱獄しかできなくなっているようである。⇒ http://bit.ly/zdNqe1

上述のように、SHSHが待避してあっても、Appleが認証をやめた現在、iOS5.0.1はもはやインストールできないので、iOS5.xの紐付きでない脱獄は、現状は不可能であると思われる。

脱獄の開発状況については、http://cydiahelp.com/ (英語)に情報がある。

iOS5.0.1のiPad2は「アブサン」を用いて紐付きで無い脱獄に成功しているので、一旦OSをあげておけば良かったかも知れない。Pwnageなどのツールと違い、アブサンは、インストールしたiOS5.0.1を改造するタイプなので、TinyUmbrellaなどを用いて、(将来のSIM unlockに備え) Basebandをあげないようにして、iOS5.0.1を更新しておく必要があった。それが面倒だったので、やらなかった。が、iOS5.xでは、iCloudも使えるし、日米のAppleアカウントを混在させても、まとめてアプリがアップデートできるようであり、大変便利なので、あげておくべきであった。
2012年1月25日水曜日: iPad2, iPhone4SのiOS5が完全脱獄可能に - iPad2の脱獄に成功
iPhone4, iPhone3GSのiOS5.1の紐付き脱獄)
http://bit.ly/Abe7mS に情報がある。

また、http://xiaolongchakan.com/archives/3319106.html にあるように、SemiTetherをいれておけば、リブートしても最低限電話だけは使えるようになる模様。

iPhone4SのSIM unlock)
SIMをlockして囲い込むという、従来の各国のキャリアのやり方が変わりつつあるように思う。長期契約で端末の購入代金を値引くという方法は、SIMのlockとは関係なく使えるので、むしろそうやって囲い込むほうが、明瞭なように思う。

これについては、http://bit.ly/xsZPbv に情報がある。わざわざ香港等でiPhoneを買わなくても、GeveySIM Ultra S という$54.99の下駄をSIMにかませることで、DoCoMoのSIMが使えるようになる模様。AU(CDMA)版があるのかは、これから調べたい。

iPhone4Sのベースバンドの版情報は以下にあり。
http://bit.ly/w5EkVX

以下にあるように、XiのDoCoMo SIMでunlockしたiPhoneが使えるようである。そして、なにより、ポケットルータ機能(テザリング)が使えるらしい。使い放題プランでテザリングが使えるのは、大変嬉しい。

http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/066/66818/

ただし、AU版のiPhone4Sでは、テザリングが近々解禁になるという噂(以下)もある。ここには、すこしであるがSoftbank版とAU版のiPhoneの比較も掲載されている。
http://plus.appgiga.jp/ky777/2011/10/30/7362/

DoCoMo SIMのiPhone4Sの方が、AUよりも通信が高速なようである。

また、DoCoMoのサイトにも、他社のSIM unlock携帯でのDoCoMo SIMの利用について書かれている。正当な利用法として認知されている模様。
http://bit.ly/xQdHBo

米国で売られているSIM Unlockアダプタ)
Amazon.comを見ると、$8くらいで、SIM unlockの下駄が売られている。
http://amzn.to/xRpKHR だれのreviewもないので、使えるのかは不明。

上記のGeveySIMらしきものも $10程度。http://amzn.to/zBSEO3
ここには、
No Jailbreak No more 112 (only first time needed) No cutting micro SIM Card Signal search very fast Support iOS(Version): 4.0, 4.1, 4.2.1, 4.3, 4.3.1, 4.3.2, 4.3.3, 4.3.5, 5.0, 5.0.1 with the following in basebands (Modem Firmware) Baseband 01.59.00 Baseband 02.10.04 Baseband 03.10.01 Baseband 04.10.01 Please Note: It won't work if the iphone modem firmware (baseband) is 04.11.08, and any others baseband that not listed on the above
とあり、ほとんど、最近のiOSはサポートされていそうである。もはや、SIM lockは、通用しないということであろう。
これを買って、DoCoMoのXiのSIMを使うのが良さそうである。

米国で使うには)
米国で高額なAU(一日3000円)やSoftbank(一日1500円)のデータローミングを使う必要はない。SIM unlockアダプタを噛ませて、AT&TのプリペイドSIMを使えば良いと思われる。GoPhoneのprepaid SIMは、AT&T shopでも買えるし、amazon.comでも9.99ドルで売られている。

http://amzn.to/AhYMvd
ここのreviewに使い方の説明がある。

もちろん料金チャージは別途必要である。
http://bit.ly/zKummB にあるように、1月有効の100MBパッケージが15ドル、500MBで25ドルである。ローミングはカナダとメキシコしかできない。(この2つは、自動的に包含されるらしい)
通話プランは、10セント/分 で良いのではなかろうか。ただし、購入する通話料金によって失効する期間が変わる。100ドルを購入して、ようやく1年間有効になる。(GoPhoneのページ http://bit.ly/zKummB  のAdding Fund...のタブから見られる)
失効すると電話番号が消えるのではなかろうか。。つまり、毎年100ドル+旅行時に、1月有効なデータプランを購入ということになる。

ただし、Data通信は、GoPhoneと月極契約とで設定が違うかも知れないので注意が必要である。

http://amzn.to/AhYMvd

MicroSIM Cutter)
iPhone3GSまでの大きなSIMをカットして、microSIMにするパンチャーと、従来SIMとして使うためのアダプタもamazon.comで売られている。http://amzn.to/A09Nta
商魂たくましいなぁ。。

SprintのiPhoneをAUのSIMで使う)
http://www.blogfromamerica.com/wp/?p=5922 に詳細なレポートがある。米国のキャリア情報に大変詳しいYoshidaさんのレポートである。

米国で売られているSIM Free iPhone4) 
http://www.blogfromamerica.com/wp/?p=3263 のように、2011/6月から米国のApple Storeで売られている。割と普通の値段です。
が、上記のSIM Unlock アダプタがあれば、わざわざ、買う必要もない。

2012年3月5日月曜日

日本のすばらしさ - 日米比較

一年ちょっとぶりに日本に帰国した。出国したのが、2011年2月。管理会社には被害状況だけ聞いていて、悪影響があるものだけ応急措置をしてもらったが、ようやく震災でうけた東京の自宅の整頓もできる。

羽田に到着して、東急エクセルホテルに一晩泊まり、自宅に戻り、各種立ち上げをした。一日に6の業者が来たが、ほぼ一日で片付いた。電話で予約して段取りをしていた、通りに事が運んだ。恐るべし効率の良さ。
浦島太郎になっていた私には、驚きの連続である。まずは、わすれないうちに項目だけ列挙しておく。
  1. 機内でみた日本映画が大変面白い。ハリウッド映画は1秒を争うサスペンスにするものが多く、どうしてもストーリに無理がかかる。また、課題を暴力とそれに対抗する正義として、安直に表現するものが多い。が、日本映画は全然違う。意外な展開。細やかな心証映像の表現。正義では割り切れない、部分。と、3流といわれている作品でも、ストーリ性が圧倒的に高い。
    テレビもコマーシャルが綺麗で面白くて短い。米国のケーブルTVのコマーシャルの長いこと。。。。ロングテール向けにコダワリのある番組を沢山提供している米国のケーブルと大多数向けに同じような傾向になる日本のテレビ番組のコマーシャルを単純比較はできないが。
  2. 飛行機がゲートにつくと、乗客全員が、手際よく準備を始め、あっという間に機外に出られる。777の最後部の方の座席でも5分もかからないのではなかろうか。米国の国内線ではこうはいかない。ドアがあいて、前の列が席を立ってから準備を始めるので、いつまで経っても外に出られない。この秩序正しさがあれば、災害時にでも全然対応が違って当たり前だと思えた。
    ただし、譲り合いはない。もたもたしていたら、米国では、「どうぞ」と譲るが、そんなことをしたら、この整然さは保てないのだろう。連絡バスでもたもたしていると、遅い人は置いていかれる。
  3. ホテルのサービスが秀逸すぎる。。WiFiが無料らしいのでフロントに電話をした。「はい、無料です。ただいま、登録方法を書いた紙を、お部屋にお持ちします」といって、3分もしないうちに、部屋がノックされ、制服をきて礼儀正しいホテルマンが、紙をもってきた。「他にご用はありませんか」と聞いて去って行った。米国だとどうなるか。。
    1. こちらの問題をまず理解してもらうのに時間がかかる
    2. 無料WiFiがないことが多く。繋がってもきわめて通信速度が遅い。直ぐに切れる
    3. 電話で接続の仕方を説明を始めるが、この説明が間違っていることが多い
    4. 直ぐにいきますといって、なかなか来ないのがあたりまえ
    5. 来ても、メンテの作業服の人だったりする
    6. 今回の人は、部屋の中を覗かないよう、外で対応したが、米国人は、荒れた部屋でも平気で入ってきたりする
    7. 来たらTIPが期待される
    8. 最後に、「ほかに何かご用はありませんか」などと気の利いた言葉はない
  4. 新たに埋め立て地にできた羽田空港ですら、道路の車線幅が非常に狭い。そこを上手に車が走っている。運転テクニックはきわめて高い。
  5. ホテルは、とにかくハイテクで気が利いている。値段がもうすこし安くて、部屋がもうちょっと広ければ申し分なし。
    1. ウォシュレット
    2. 枕元で電灯が制御できる。調光付き。十分明るくなる
    3. 部屋の電灯のスイッチが外側にある。米国では部屋内にあるのが普通なので、探すのが大変。ある程度文化の違いではあるが。。関連して、自宅等では、トイレは使っていないときは開けておくことで、未使用を示す。日本では、内から鍵を掛ければ使っていることが分かるようになっている。また照明がついていることが分かる小窓がついていたりする。
    4. 曇り防止のバスルームミラー
    5. 温度調節、カラン・シャーワー分離型の使いやすい水栓
    6. シャンプー、石鹸が良いにおい。歯磨き粉も美味しい
    7. 堅くて背中に優しいベッド
    8. 寝間着完備
    9. 暑すぎず寒すぎない気温調整
    10. 冷蔵庫の中に、売り物の飲み物等があらかじめ入っている。米国のモーテルでは当然空。
    11. 湯沸かしポット
    12. エレベータが静か
    13. ただし、窓の結露がヒドイ
  6. 米国では、ホテルチェックイン時にかならず、クレジットカードで宿泊費と物品破損時の担保をさせられる。web経由で登録していてもそうである。ホテルによっては、一時保証金をカードから一旦引き落とすところもある。高級ホテルに多い。ところが、羽田エクセルホテルは、チェックアウトするまで、なにもカードを要求しない。お客を信用しているところが気分が良い。もちろん、それまで悪事を働くお客があまりいないのであろうが、どちらがというと事前対策でがんじがらめにする日本よりは、米国を超えたサービスがあるんだなぁと思った。
  7. ホテルもお店も、お店を去るときに、何人もの店員が、「ありがとうございました」と口をそろえて言う。米国では、担当者ひとりが、「Have a nice day!」というだけである。
  8. スーツケースをもって出ようとしたら、すかさず店内にあった、無料カートを店員が運んできて、「おつかいください」と。そして、モノレール乗り場を聞いたら、正確に案内してくれた。
  9. 山手線の社内の表示板が分かりやすい。行き先、各駅までの所要時間。駅の階段の位置。これは、秀逸。米国だとせいぜい次の行き先がでるだけとか。また、Washington DCの地下鉄は、人によって、降りた駅の案内や次の駅名を言うが、人によっては、電車の方向-最終目的地を社内でアナウンスするだけ。。。
店員のサービス)
とにかく店員は、質が高い。
  1. いいたいことが、直ぐに通じる
    1. パスモ、スイカは、長期使わないとlockがかかる。羽田のモノレール乗り場でまずひっかかった。窓口にいって、「使えないんですが」といったら、一発で、直してくれた。お客の課題がすぐにわかる。

  2. 560円を買って、1,110円を払った。550円おつりをくれた。米国では、まず110円は余計だよと突っ返される。1,110円払っているのだから、なにか目的があるのだろうとお客目線で考えれば、まずはレジに入力してみるだろう。ところが、米国では、何度説明しても、買った代金には小銭は十分だからと突っ返してくる。とにかく、米国では、他人目線がないから、そうなるのだと思う。
  3. 羽田のソフトクリームがちゃんと盛られている。曲がっていないし、量も揃っている。これも米国ではありえない
  4. 地元の回転寿司の米の握り具合。わさびの入れ具合が絶妙。ここ、ズワイガニも中トロもウニもアワビも一皿2カン136円均一だが、味は秀逸。店員に5品ぐらいまとめて頼んでも、全品注文を間違えない。もちろんメモなどはとっていない。
業者のサービス)
J:COM(TV+internet), 取水口浄水器のフィルタ交換、空にしてあったエコキュートの復元等をやったが。とにかく驚くことばかり。
  1. 一日で全部かたづいた。とにかく手際が良い。付き添わなくても、間違いなく作業して、正確に終わる。
  2. 時間ぴったりに来る。米国では遅れて来る以上に、来ないことも多い。
  3. 商品についての知識がきわめて豊富。米国では、全く知らない店員が多い。
    1. J:COMの契約をわざわざ訪問-対面でしかやらない意味が分かった。システムとオプションが複雑すぎる。が、これをとても分かりやすく説明してくれるし、商品知識がきわめて豊富で、調べなくてもすいすい答えてくれた。そして、J:COMの担当者は、とても腰が低い。去るとき「長時間にわたりお邪魔してもうしわけありませんでした。」と、いや、必要な条項を説明してもらい、私の質問に答えてくれただけなのに。。一方、米国では、医者にいくと、訴訟防止の書類を10枚以上渡され、サインさせられる。が、説明を受けたことは一度も無いし、コピーすらもらえない。(私は何時もデジカメに写しているので、医者の受付には、おびえられているが。。)
    2. Softbank shopも、一番お得なプランを上手に説明してくれる。
  4. J:COMの作業員の手際がとんでもなくよい。
    1. 軽のワンボックスに担当者が二人で、事前に電話をかけて、時間ぴったりにやってくる
    2. はしごをもってきて、電線の間のワイヤに引っかけ、登っていって、線をつなぐ。軽業のようで、作業が速い。米国だと、からなずクレーン車みたいなのが来る。
    3. 使ったはしごは丁寧に、紐で固定する。米国ではこれをやらないので、高速で良く荷物がトラックから降ってくる
    4. 家にあがるときに、「失礼します」と。私より先に入るのを、遠慮していた様子。米国だと、靴が玄関においてあって、家族が靴を脱いで家の中で生活して居てても、作業員は土足のままどんどん上がり込んでくる。
    5. 家に入って、ブースターを無料交換。リモコンでTVが制御できるように設定。AVアンプ、TVにすいすいと接続。まいど、電波レベルも確認。地デジは、電波が弱くても、強くても、ダメらしく、復調が一切できなくなるらしいので、何度も専用測定器でチェック。
    6. 作業終了後使い方を完結だが、丁寧にとても分かりやすく説明してくれた。契約の担当者も工事の担当者も製品に関する知識が半端ではない。
    7. 設置の書類を何枚かと、取り扱い説明書をおいていった。設置書類は、定規とテンプレートを使って、とても綺麗に手書きされた、配線図があった。
    8. とんでもない技術だと思い、作業歴を伺ったら、皆さん大体、2年から3年だとのこと。これだけの期間でこれだけのプロになるとは恐るべし。。
  5. 実家からの12:00-13:00と指定された、ゆうぱっくが、12:20にやってくる。ありえない正確さ。米国だと当日にすらこないことも。。
考察)
  1. 担当者レベルがとんでもなく優秀
  2. 一方、経営やマネージメントや上位はどうもあまりよくない
  3. 担当が優秀すぎて、上司が甘やかされるのでは。「出世すると、変質する」と、嘆いている人も多い。だったら、担当者の質が低くても、上司がしっかりとしている米国の方が良いし、自分が仕事をするならやりやすい。
  4. とにかく、担当者は優秀なので、あとは組織と経営を優秀にすれば世界に勝てる。
  5. 優秀な担当者で世界に打って出ようと思いつかないところも、すでに経営力が弱い
  6. 都市計画が全く出来ていない。個人の権利が強すぎる、土地への執着が強すぎるのもあろうが、終戦の焼け野原とか、埋め立てによる更地など、何度も都市計画のチャンスがありつつも、都市計画のチャンスを見逃している。行政の無能さには驚く。。
  7. 羽田もあれだけ立派なら、どんどん拡張して、アジアのHUBにすべき。成田にこだわる必要がどこにあるのだろう。
課題点)
  1. 節電といわれているが駅が明るい。昼間なのに屋外のホームに蛍光灯をつける必要は無いし、屋内通路なども、まだまだ暗く出来る。Washington DCの地下鉄ははるかに暗い。
  2. たまたま月曜の通勤時間に乗車したが、混んでいる方向では、皆殺気立っていた。人を押しのけてまで、会社に急ぐほど会社が大事なのだろう。
  3. 通勤と逆方向の電車では、みんな黙々と携帯を触っていた。Washington DCの地下では、知り合い同士なのか、皆会話をしていたのと大分違う。

2012年3月4日日曜日

単一文化の危険性

いろいろ書いているが、誤解されるといけないので、一言書いておきたい。
単一文化の危険)
ある文化にとっての常識は、他の文化にとって非常識であることが多い。なので、単一文化は発想のチャンスを大きく減らす。ある会社や大学の職に長くいると、一歩引いて考えるととても非常識なことでも、当然として疑えなくなるのは、皆さんも、ある組織を外から観察すれば、強く感じられることだと思う。私自信も日本のある会社組織の中にいて当然として疑わなかったことが、そとに一旦でると、不合理だらけであることを強く感じている。そして説得してみても、非常に伝わりにくい。海外に住んだことがある人には、「それは時間の無駄だよ」と、あきらめている人も多い。

多文化といわれる米国でも、それは例外ではなく、強者の論理がまかり通っており「America is No.1」と愛国心がしみ出てくる。なので留学生達は、おのずと留学生でまとまることになる。マルチカルチャーに慣れると、もはやどこの文化にも属せなくなるのかもしれない。が、それも長くは続かない。私は1993年に米国MIPS/SGIに出向し1998年に帰任して、逆カルチャーショックを強く感じたが、2011年に再赴任する前には、またシングルカルチャーに戻っていた。会社でやっている不合理の多くに気づかなくなっていた。

ただし、留学生にも例外がいて、海外に出ても、同一文化でグループを作り強者の論理を守り続けていると感じる人たちがいる。華僑や印僑(インド人)、ユダヤ人たちはその傾向があり、なかなか留学生グループには入らないように思う。言葉の問題ではない。イギリス人も留学生グループに入るからである。
私は米国文化を馬鹿にしているのではなく、そういう文化の差が歴然とあることを、身近な例で説明したいと思っている。

両面を伝えたい)
もうひとつ、米国の良いところばかりを述べても、なかなか伝わらない。なので、悪いところ、不思議なところも混ぜて伝えている積もりである。

日本文化について強く感じるのは、なれ合い、甘え、傷のなめ合いである。長らく続く終身雇用で、技術を全く身につけないで、のうのうとしている社員が増えた。競争に負けると再起できず、逃げの道ばかり探ったり、非常にもろさも目立つ。

強く生きる人もいる)
途上国の人たちは、非常に悲惨な目にあっているのに、とても強い。知り合いのヒスパニックの女性は、最愛の兄の死(銃犯罪にまきこまれて銃殺された)、子宮筋腫での子宮の全摘出、ガン(幸いにも生還)、失職(博士をもっており、LAで教授として大学の再起のために働きすぎた。この性でガンなどになったらしいが、大学がつぶれ職を失った)、子供を全員失う(赤ん坊のころから養子として育てていた3人を、高校生になった時点で、実の親が戻せと主張し、それが通って奪われた。別な養子だった長子は年が近いので、残り3人についていってしまった。一番大変な時を育ててきて、これからと言うときに、子供4人全員を同時に失った)。ガンで一緒に闘病した病友(おそらくSingle mother)から、娘さんを託された。大学を卒業が背手させてあげるそうである。結果的に新たなお子さんが残ったともいえるが、それまで育ててきた子供を失い、残ったのは体とご主人だけだともいえる。と、いうことが10年のあいだに次々におきたのに、あっけらかんとして、ボランティア活動に取り組んでいる。このことを書く了解を伺ったら、どうぞどうぞ、「伝記でも書こうと思っているのよ。」とのこと。。

イランや中国から亡命して来て米国で働く人たちも帰る国がない。私の同僚だったイラン人は、イランの貴族の出身らしく、最初に米国に来たときに、現金でBMWをお土産に買って、飛行機で空輸したらしい。が、イラン革命があり、命からがらスイスに脱出したときは、ポケットに数ドルあっただけらしい。アフガニスタンから、機関銃を背負って命からがら脱出した人もいる。

ポルポトの大虐殺 http://bit.ly/Jxey2H で働き盛りの知識人を100万人規模規模で虐殺された、カンボジアは大変悲惨な状況らしい。米国に住む日本人の知り合いで、各地を一人旅されるひとがいる。この方が、先日カンボジアに行かれて言っていた。警察も賄賂を要求する。いろいろ手段を尽くして、現地の家に一人で宿泊した、部屋がないので、廊下で寝た。夜、飲みに行くと、いろいろな人が入れ替わり立ち替わり40人ぐらい飲みにやってきた。そして、飲んでは去って行った。はなから、おごってもらう積もりらしい。困ったなぁと思いつつ最後に支払ったら、たった12ドル(1000円弱)だったとのこと。大変貧乏な国なのである。

この強い人たちが進出してきたら、ひ弱になれている人たちはひとたまりもない。これも単一文化の危険性であろう。メイリングリストなどで議論をやり出すと、「わたしは、お気楽でいたいのだよ」といわれることがある。問題提起をしてもらうチャンスを自ら放棄しているようである。「お気楽」でいることは、「堕落すること」にかなり近いように思う。

自分のことを主張すると、弱い人たちと同じことになるが、私も地元の区画整理で愛着のある実家を失い・実家はそれに伴い開発業者にヒドイ目にあって調停にかけずり回った。自分も海外に来て相当苦労し、病気で死にかけもした。

自分だけが苦労してる。おまえはお気楽に批判だけしているなどと思うのは、思い上がりもはなはだしい。違う状況で苦労している人はいくらでも居る。特に、身一つで、文化も言語も分からない海外にでて、現地でやっていく人には苦労人が多いと思う。

傷のなめあいで良いのか)
福島の事故についても、当事者の感情を配慮して、放射能の害について議論するなという方もいる。興味本位だから中途半端な議論をするなということもあるが、どこで中途半端と専門家の線を引くのか。それは、議論をさせないという論理にも繋がる。
害を知らないで、その地に住み続けるのが良いとは思えない。ヨード剤をあたえるとか、除染するとかいうオプションも知らなければ実行されない。また、移住する選択の余地がないのは、行政の問題である。その地に愛着があるだろうからと、事実を覆い隠すのは正しくなく、愛着があって住み続けることも、危険を知った上での自己責任でなければならないと思う。

事実は事実として前向きに向き合う。これができないのも、ある意味、もたれ合いの構造だと思う。哀れみを与えすぎると、相手は弱くなるだけである。5年ほど前まで行きつけだったマッサージ院のおばさんは、弱視なのに、強く生きていた。そして、誰よりも卓越したマッサージのテクニックをもっていた。私は、カイロプラクターなど日米10人以上のマッサージを受けたが、彼女のテクニックは、群を抜いている。ツボを的確に押さえるので、痛さとほぐし具合も自由自在であり、1時間のマッサージで、後半は必ず寝てしまう。
実は障害者も被災者も、立ち直れる人たちは意外と強いかもしれない。哀れみよりも、立ち直る手助けをしてあげたらどうかと思う。

そういうメンタルな心配でお節介を焼くよりも、彼らの受けたダメージを伝え残すこと。かれらが社会的に差別されていることをなくす、すなわち生活環境を良くすることにも、力を割いたらどうであろうか。米国911テロも、この悲惨さを伝える博物館があり出版物が沢山でている。もちろん、原因究明も未だに行われ、テレビで報道されている。日本でのニュース報道は、同情を誘うもの、励まそうというものが多い。事実を解析するもの、社会システムの矛盾をえぐるモノも、適宜おりまぜているだろうか。。
比較するべきものではないが、海外では、もっともっと悲惨なことに、前向きに向き合っている人たちがいる。

論理的な意見を受け付けない人も居るが)
こうしたら良いと、状況を分析して、コメントすると、いや自分達は当事者で悲惨な目にあっていると、全く受け付けない人が居る。
自分の意見を言うだけで、状況を解析しなければ全く状況は改善しない。
また、以下にあるように、自分だけの利害を主張しても問題は解決しない。

2012年4月29日日曜日: Asahi Web Ronzaの注目記事3本など。

2012年3月3日土曜日

Computer History Museumにいってきた

大学の行事でシリコンバレー Mountain ViewにあるComputer History Museumに行ってきた。以前のSilicon Graphicsの社屋であろう。

団体で行ったので、ガイド付きのツアーを開催してくれた。個人で行った場合にも、12:00と14:00からツアーに、無料で参加できるそうである。ニューヨークのメトロポリタン博物館もそうだが、博物館員の無料ツアーというのは、普段見落とす見所にテーマをきめて回ってくれたり、詳しい情報が聞けてとてもためになる。

ツアーガイドもプロ)
引退されたコンピュータの専門家がツアーの説明員をされているらしいが、1年間の教習をうけるそうである。なので展示に関してはとても詳しい。約40人のボランティアがいるそうである。
見学後、今回のガイド担当者のLowellさんに、現役時代のお仕事を伺った。実はこの話も、非常に興味深かった。後述する。

学ぶ事が多い)
Revolutionという案内誌にHarvard Business SchoolのRichard S. Tedlow教授が以下のようなコメントを寄せている。(英語を要約した)
歴史を学ぶことはエンジニアリングでも、科学でもない。
コンピュータヒストリー博物館には、いろいろ教えられるものが展示されている。しかし、この博物館を訪れると、答えを得るよりも沢山の疑問を持って帰ることになるだろう。これらの疑問が正しい疑問であれば、それこそが前進である。
ある展示は、 答えを出してくれる。ある時点で、ある人が、ある場所で仕事をしたことにより、コンピュータは進化をしてきた。
しかし、展示されているものから一歩下がって、学んだことを一般化しようとすると、それは難しい課題であることが分かる。まず、現在ある各種技術なしでは、今の我々の社会は存在できない。今の時代には、情報が沢山蓄えられている携帯端末を、手のひらにのせて持ち運ぶことができる。これは、昔にはあり得なかった。
1982年に亡くなったイギリスの詩人Alfred Tennyson(テニスン)がいる。彼の一番有名な詩は1984年に作られた「The Change of the Light Brigade (軽騎兵の突撃)」であろう。現在ならコンピュータでテニスンのページにいって、著者が朗読するのを聞けるだろう。テニスンは死ぬ前にロウのレコードに朗読を吹き込み、それが今はインターネットで聞けるのである。彼の朗読の声は永遠のものになり、いつでも誰でもアクセス可能になった。
まず、このことに驚いたあと、次にはもっと大きな疑問がやってくる。どうやってこれを実現しているのか? 科学技術が歴史をコントロールするのか? コンピュータヒストリー博物館のおかげで、こういう答えのない深い疑問に接することができるのである。
テニスンというのは、あまりなじみが無い。が、wiki
http://bit.ly/HippOo の下のメディアの所で、世界3大行進曲として有名な「星条旗よ永遠なれ」の作曲者スーザ率いるスーザ交響楽団の演奏を、エジソンが録音した1909年の録音が聞ける。
 まさか、作曲者本人の指揮する演奏の録音が聞けるとは思ってもいなかった。ちょっとテンポが速く、はやまわし風のような気がするが、とても綺麗に録音されている。インターネットの偉大さである。


技術は行きつ戻りつしつつ進化する)

1950年代の冷戦にソ連の攻撃を検知し防御する為に作られたコンピュータシステムが半自動式防空管制組織SAGESemi Automatic Ground Environment)である。以下にあるような、4階建てのビルがまるまるコンピュータシステムになっている。32,000本の真空管からなるコンピュータが2台、記憶装置である磁気ドラムを共有する形で接続され、1台が待機系となり、冗長構成になっている。1960年当時で、100億ドル。2000年換算で700億ドル。の費用を掛けたシステムである。2000年での価格を、1ドル100円で換算すると、7兆円のコンピュータシステムである。IBMが作成したが、一度もソ連は米国の制空権内に入ることもなく、一度も使われなかったシステムでもある。

2013/3/29追記)  2013/3/2に、GIGAZINEに詳しい紹介が以下に掲載された。

http://gigazine.net/news/20130328-sage/

1時間に一本の割合で真空管が故障し、事前診断プログラムもあり、事前に交換していたそうである。コンピュータ史上最大(多分最大消費電力)のプロセッサということである。(複数プロセッサであれば、日本の地球シミュレータ http://www.jamstec.go.jp/es/jp/index.html の方が床面積は広いらしいのですが。。)

SAGEが動作している様子も写されたビデオもある。
米国空軍による紹介ビデオは戦時中の大本営発表、ないしは、サンダーバードのフィルムの様でレトロ間が漂う。。ぜひご覧あれ。。

SAGE) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E8%87%AA%E5%8B%95%E5%BC%8F%E9%98%B2%E7%A9%BA%E7%AE%A1%E5%88%B6%E7%B5%84%E7%B9%94

延べ床面積は、2,000平方メートルとある。wikiには、航空機の侵入を許してしまった事ともあるし、別の意味で使い物にならなかったとある。つまり時代は航空機による爆撃の時代ではなく、ICBMの時代に入っていたからだとある。

SAGEの建物のプラン1Fが電力室、2階がコンピュータ。4階がコントロールルーム。


SAGEの制御パネル。銀色の銃の形のものが、ライトペンである。すなわち、タッチパネルのインターフェースをもっていた。画面をタッチして、位置を指定するするのである。テーブル右のが電話のダイヤル。左側に灰皿とシガライターがついている。
SAGEの画面に表示された、グラフィック。飛行中の航空機などが、動画として、グラフィカルに表示される。当時の動画がスクリーンで紹介されていた


1960年代に入り、クレイ1で有名な、セイモア・クレイが最初に作った、スーパーコンピュータCDC6600。配線長を短くするために、この大きさに収めた。CPUを、1間の押し入れ程度であり、巨大なビルの1フロアを占領していたSAGEより、はるかに小さいであろう。この思想は、彼のコンピュータに終始通じている。当然熱密度が上がる。右側の黒い箱が、冷却用の冷蔵機。フレオンガスで素子を直冷する。当時のIBM7030の100倍(?)の性能を実現した。値段も10Mドルに下がった。Fortranが使われ始めたのもこのころか。。

CDC6600のボード。初めてトランジスタを使用している


上記ボードを横から見たところ。缶に入ったのがトランジスタで、基板の間にソリッド抵抗がある。案内の方が、実ボードを回覧に回してくれる。

1965年に入り、ICを使用し値段が格段に安くなった。PDP-8 。 
1968年にXelox Parcでアラン・ケイの要請で開発された。Alto。今のwindows, Macが採用するディスクトップメタファ。マウスが発明され。What You See IWhat You Get(見たままが得られる)が実現されている。
学ぶこと)
1950年代には、すでに、タッチパネルでグラフィックインターフェースを持ったSAGEがあった。が、その後のCDC6600, PDP-8では、文字インターフェースにもどり。1968年のAltoになって、グラフィックインターフェースが復活した。

ところが、その後に出た、パーソナルコンピュータ1977年のApple II  (1,298ドル)。1981年のIBMPC (1,565ドル) では、再び文字インターフェースに戻っている。
技術はゆきつ戻りつしている。

Altoは、西海岸のAltoで開発されて、非常に先進的であったが、Xeroxの幹部は東海岸にいて、その価値を見抜けなかったため、Xeroxの製品にはなっていない。コピー機としては生きているが。。

Apple IIでは、Altoのグラフィックインターフェースを採用しなかった。が、XeroxはAppleの株主であった。Steve Jobsは当時XeroxのParcにジョギングしたりしており、その際、Parcに招待され、Altoを見た。すぐに、この価値を見抜き、Appleの技術者達にAltoを見学させたとのこと。

そして、Appleは1984年にLISAを発表した。3,495ドルと高かったので成功しなかったが、Appleは同じく1984年にMacintoshを2,995ドルで発売し、これが大ヒットする。

以上まとめると
  1. 技術は行きつ戻りつする
  2. 革新技術に接したときに、見抜ける人と見抜けない人で結果は大きく変わる

その他)
初期のコンピュータ、ENIACで使われていた真空管。弾道計算用でメモリは数字20桁分しかなかった。極秘プロジェクトなので値段は不明。消費電力は100kWくらいだろうかとのこと。
Apollo計画のガイダンスコンピューター

高級デパート ニーメンマーカスが、フラグシップとして1968年に広告に掲載したキッチンコンピュータ。1万ドル。Honey well 716ベース。家庭には1台も売れなかった。が、事業用として使われた。入出力が全然ないので、テレタイプをつけないと使えなかった。
初期のインターネットARPANETの通信装置

Googleの最初のサーバ。ハードディスクと基板の間にコルクの板が入っている。

Lowellさんのお話)
Stanford大の修士を1960年代に卒業され、2010年に引退し、博物館の研修を1年受けた後、2011年からボランティアをしているそうである。
制御コンピュータの開発がご専門であり、御退職の前には、Space shuttleのガイダンスシステムを開発し、その後、Stanford大の粒子加速器 SRACで働かれた後、重量子線の宇宙望遠鏡の制御システム開発を統括されたらしい。5つのコンピュータをもち2つが制御、残り3でデータ処理をし、3並列処理でデータを削減し通信量を減らすが、多重系にもなっており、1台になっても処理ができるようになっているとのこと。ガンマ線バーストなどを検出したらしい。高域ガンマ線宇宙望遠鏡GLASTではなかろうか。。
http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://144.206.159.178/ft/787/42271/14043969.pdf




2012年3月2日金曜日

PriusのヘッドライトをHIDに換装した。とても良い

2011年6月であるが、現行Prius ZVW30のHIDを換装した。
米国であった、前形式のPriusでのHID訴訟により、現行PriusはHIDというオプションが無く、最上級クラスのみLEDヘッドライトがオプションになっている。私しは、自分でHIDに換装して、すでに半年以上使っているが、大変明るく見やすく、お勧めである。

ただし、日本で青系の強い8,000Kや10,000Kが車検に通らないといわれているように、米国でも太陽色の6,000Kを超える物は、警官に因縁をつけられるとも言われている。また、ヨーロッパでは、明るすぎるHIDには規制が掛かっているとも言われている。(関連リンクは後ほど掲載する)

現行プリウス ZVW30のヘッドライトは4灯式だが、ハイビームはハロゲンのままである。ハイビームにしたときは、ハロゲンの光が混じるが、さして問題は無い。

HIDに関しては以下に紹介した)
HIDなら明るくて視認性もよく低電流で、長寿命である。以下によると、ハロゲンに比べ、2倍明るく、消費電力が半分で、寿命が10倍とある。

2011年5月25日水曜日:

購入したキット)
Zenex SLIM HID Conversion Kit H11 6000K (Diamond White) amazon.comで64.99ドル。バラスタ(安定回路)と昇圧部が分離したスリムタイプのもの。以下リンク:
http://www.amazon.com/gp/product/B000YQLJFU/ref=oh_o03_s00_i00_details
日本でもamazon.co.jpで探すと5,000円程度であるそうだが、プロのショップに頼んだり、ディーラーオプションにすると、この10倍程度の値段になるようである。
米国人は、家でも車でも、日曜大工で持ち主が直す。これは、モノを大事にすることにもつながるし、大体、趣味として面白い。機構を知れば愛着がますます深まる。。


購入したHIDのキットを仮接続したところ。電源は、元々ついていたH11ハロゲンバルブの口から取る。HIDの球(バーナーという)に並んでいるのが、このコネクタ。現行ZVW30 Priusの場合には、配線ならびに、取り付け部の一切の加工は必要が無い。

昇圧部を取り付ける部品

まずはハロゲンを外す。こちらは進行方向左側(米国仕様車なので、運転席側)。手の上にある電球は、駐車灯

こんなH11 ハロゲンがついていた。右端が差し込むコネクタ部

ハロゲンのタマの部分

ロービーム,  H11バルブのコネクタ。一応どちらがアースか確認。HID昇圧回路は、プラスマイナスがあるので、もしも逆につなぐと壊れるため。標準のままで問題無いことが判明

取り付け金具を昇圧部にネジ止めしたところ

左下が進行方向右側のライトのレンズ(米国仕様車なので助手席側)。
こちらは、手を入れる隙間がほとんどない


進行方向左側を仮接続して点灯試験。進行方向左側にある銀色の箱が、ハイブリッドインバータ(水冷式)である。

右側も点灯試験。これらコネクタは、HIDキット内の12V電源の接続コネクタ。

進行方向右側用は、結局昇圧部の裏にバラスタを両面テープで固定。ちょっと高価な分離型スリムタイプの価値がない。。

進行方向右の昇圧部はここにネジ止め。放熱もあるだろうから、なるべく熱くならない部分を探した

進行方向左側は、いろいろ悩んでも見つからず。ハイブリッドのインバータのネジをつかってとりつけ。多少、熱くなってもしょうが無い。バラスタは、両面テープでその辺に貼り付けた。-- 分離型の意味があった。右下の赤いコネクタでもともとついていた、H11バルブのコネクタに接続され、電源がとられる。
が、夜とか長距離走行しているが2012/2月時点で問題は起きていない

昔のハロゲンは、パッケージにいれて、非常用に保管。が、以後つかったことはない。

ガレージで点灯試験

こんな感じで、ちょっと青っぽくて格好良い。
だいたいとても明るいし、切れる心配がない
Priusに関しては以下に紹介した)

2011年5月25日水曜日:


トヨタのプリウスは本当に凄い車です (各種プリウス考察を総括)


おまけ)後ろ右側のウインカーが切れた。2011/3/2に買った新車なのに、2011/6/1頃に、後ろのウィンカーが切れた。切れると、そちら側のウインカーの点滅だけ非常に速くなって、おかしいなぁ。。と思ってマニュアルを見たら分かった。


LEDストップライトだと安心していたら、ウィンカー、バックアップライト、夜間のテールランプも全部白熱灯であった。それにしても買って3ヶ月で切れるとは、初期不良であろう。カー用品屋で交換のタマと予備の、透明のタマも買ってきておいた。

今後は、ウィンカーやテールランプ、バックアップライトもLEDにしてメンテフリーにしてもらいたい。どうせ値段は大して変わらないと思う。ウィンカーは点滅が激しく、寿命も短いと思うし、切れると危険である。
 ただし、シリコンバレー(San Francisco南、Bay Area)では、全くウィンカーをつけない車が多い。交差点での右左折のみならず、車線変更ですら、ウィンカーをつけないばかりか、いきなり割り込んでくる。車を運転しないIT新興国からいきなりやってきた技術者や家族が増えたためかもしれない。同じ西海岸でも、そういう人たちが余り多くないと思われるLAでは、ウインカーは皆ちゃんとつけて、おとなしい運転をしていた。

また、頻繁に使う、テールランプはブレーキランプのLEDと共用が可能だと思うのだが。
こんな感じで、ハッチバックの荷物室から電球にアクセスする。

これが切れたウィンカーの球。球自体がオレンジ色をしているので、バックライト、テールランプとは別な球が必要。
米国では、インチキをして、透明な球をウインカーにつけて、ウィンカーが白く光っていたり、テールランプをブレーキ用のめちゃめちゃ明るい球にしている車を時々見かける。そういうことにならないためにも、これらのランプもLEDにしてもらいたい。たしか、AUDIとかはすでにそうなっている。今やLEDは、ハロゲンに比べてさほど高価ではない。